聞き取り調査

オリオン通り曲師町商業協同組合理事・オリオンパートナーシップ(元青年会)

()ミスズ洋裁店の広瀬一郎さん

要点)

まちづくりと店づくりはまったく別の方向を向いているということ。

まちづくりのに本気で関わろうとすると、結局店にかける時間が少なくなってしまい、店自体がつぶれてしまう可能性がないといえないのが現状である。

隣同士の店や商店街の個々の店はそれぞれにライバルなので、今のところ表面上さえも協力しようという気がない。また、商店街自体に今の状況を何とかしようと活発に行動しようとする人が少なく、年齢的な問題からも将来性を考えての店作りや商店街全体のことを考えている人は少ない。

よく、店それぞれが充実していれば商店街自体も活性化するのではないかという意見も言われるが、それも難しい。その理由は、昔からの商店の店主という人が全体的に少なくなっており、店をテナント化し、オーナーに転ずる人が多くいるためである。オーナーになってしまうと、自然と商店街のために何かしようという気持ちはだんだん薄れてくるのは仕方のないことだろう。そして、テナントに入る若い世代の店主は、結局組合などにも顔を出さず、なかなかコミュニケーションがとりにくい。また、短い期間だけの店長であった場合はさらに、商店街との関係は薄くなる。

 

まちづくりとしての商店街を見ること

商店街に対する視点の違い、関わる立場の違いが大きい。既婚者(子供有)と独身者では考え方は全く異なると思ってよい。既婚者は子供のために周辺環境の社会を考える目をもっている。しかし、独身者になると子供や社会に対しての接し方、コミュニケーションのとり方が上手ではなく、なかなか商店街全体のことを意識できない。

どちらにしても人が住んでいないことには話が始まらない。人を住まわせる工夫が必要だ。ファミリー層がやってきて、それぞれの世代で楽しめるような商店街にする必要がある。子供、働き盛り、高齢者といった連続した年代がいることが重要だ。商店街自体に人が住んでいる例は珍しく、異なる場所、郊外などに家を構えているのが普通である。そういったい生活圏の広がりが中心部の衰退につながっているのは間違いない。その人たちを町に呼び寄せ、歩いて暮らせるまちづくりを目指せば、人々はこの中心部に価値を見出してくれるのではないか。

ベンチやテーブル、休憩場所について、よくなぜないのかという意見が出るが、原因があってなくなったのであって、決して考えていないわけではない。その原因はいくつかあり、ベンチとテーブルを置いておくと毎日同じ人がずっと座っている状態になってしまうということ、今設置すると、ホームレスの居場所になってしまうこと、そして一度ホームレスが座ったところというのは、一般の人は決して近づかないということ、その諸々を管理するのは全て商店であり、負担が大きすぎるということもあげられる。結局溜まり場になってしまっただけで、あまり回遊できるところの休憩所という役割を果たせなくなってしまっていたからである。同じ理由により、ゴミ箱や灰皿も撤去された。

オリオン通りを生活道路として使っている人々をいかに引き入れるか。通行量だけは北関東一である。実際年代が上になればなるほど「人が通っているから大丈夫」といった見当違いな安心感を持っている人も少なくない。個々の店において世代間の意識の統一がなされていないのも確かであり、店自体が一丸となって客を引き入れる努力が出来ないのが現状である。なので、そのような努力は一切行われていないといってよい。世代間の意思の違いは店によっての前向きさに大きく関わる。

他にターゲットとなりうるのは年金生活層である。商店街はすでに超高齢化社会になっている。祖父母は孫には甘いものである。その方々にいかにして買い物を楽しんでもらうか。商店街を社会に溶け込ませ、各世代がそれぞれに楽しめるようになれば、年金層の購買意欲は高まるのではないか。そのために、今必要になってきているのは、交通弱者のための交通手段である。今、一番有効かつ可能性として大きいものはLRTである。しかし、実際の話では中心市街地をLRTの回遊スペースとして整備するのは、第2期であり、今のところ考えられているのは、第1期としての鬼怒川にかかる橋の渋滞緩和と東京から工業団地に行く人々(東京投資)のためというのが一番の理由になっている。そのため、その話のまま、LRT導入をすすめるのであれば、オリオン通りにとっては、全く必要のないものとなる。なぜならば、その話は多くの予算を出費し、第2期になるころには話し自体が立ち消えになっている可能性を否定できないからである。

 

集まりの実態

年一回のオリオン通り曲師町商業組合の総会、毎月2回の理事会である。理事会は12人で行われ、その内容は、催事についての取り仕切り、広場の管理・運用、場所の貸し出しの審査など外部との関わりのこと、それ以外は内部の意思統一を図り、商店街を今後どうしていくか、現在の問題としては郊外大型店との差別化、そして将来的な長期的なまちの存続などを議題として話し合っている。商工会や市役所と協働してやっていくことは不可欠なので、要望として出し続け、問題を風化させないようにしている。

しかし、その理事会も一方で、馴れ合いになってしまっているのも否定できない。商店街の展望に対する意識の統一を図るのは難しく、個々の店の考え方について(意識ややり方、参加具合)や具体的な話(実際に動く、金を出すこと)、つまりは込み入った話をするのを避ける傾向にある。何もやってないということを言われるのを避けるためだけに、口は出すが、金は出さないと感じるのが本音である。

自分は会計を担当しているため、実際に動いて、店に働きかけに行くことが多い。その際に、自分のことを、組合に雇われ、組合から金をもらって動いている人だと思われることも少なくない。そういう人を雇って事務処理を運営している商店街も実際にはあるが、オリオン通りの場合はそんなことは一切なく、自分の店にいる時間が少なくなろうとも、商店街のために、いわば無償で働きかけをしているといっても過言ではない。商店街の今後、まちづくりとしての商店街に興味があるのは、今のところ2人くらいだろうか。それぞれの店主の意識改革は相当に難しい。一言で行ってしまえば無理なのである。強力にまちづくりとしての商店街を推し進める自治体職員でもいないと大きな変化は望めない。

 

オリオン通りのもう一つの組合、オリオン通り商店街振興組合との協力

ないに等しい。こちらからの働きかけをしてみても、経済規模などの理由により断られることが多い。実際は、内実を知られるのが好ましくない、またイニシアティブをとれずにこちらからの働きかけにより動くのが気に食わないというのが本音ではないか。そのために、まず、商工会議所に要請し、そこからの働きかけであるという名目を作ってもらって、やっと二つの組合同志が参加するというのが現状だ。その働きかけにより、勉強会や講演会などにある程度の人が集まり、表面上はうまく行っているように見えるが、結局成果が上がった例は一つもなく、分厚い記録や報告書だけが残っている状態である。【組合同士の協力は難しそうだ。】

商店街のあり方は実際に大きく異なる。振興組合は、東武百貨店という大きなバックスポンサーがついており、それに大きく寄りかかっている部分も少なくない。

 

商店街の負担金

宇都宮商店街連盟(商工会議所内に窓口があり、半官半民的な団体)、栃木県中小企業中央会(半官半民)→会費、運営会費や職員などの給料に使われる。

アーケード使用料→10年前商店街全部の許可を得て立替、その後20年の間に、その費用を個々の商店が少しずつ負担し国や県に返している。

組合費、自治会費→イベントの運営費、年間の行事によって変化。オリオン通りは市内の商店街の中で一番イベントが開かれているだろう。そのイベントの主催者の7割は組合で、あとは、公的なもの、民間企業のものである。営利目的のもの、組合に不利益となるようなものは誘致しない。主催が組合ということはその分負担金も多くなっていくということである。

宇都宮まちづくり推進機構(第3セクター、半官半民)→会員制、企業など団体15万、個人11万。継続して行われる可能性があるイベントにのみに対して、第1回目開催時のみ補助金をだす。

 

個店の負担する金ははっきり言って少なくない。しかし、イベントなどを開くことに反対する人はいない。それは、自分は動かないけど、金だけ出しておけばいいという気持ちの表れではないか。一応、商店街のイベントに関わって、人を集めたということだ。そのイベントをやって、本当に効果が出ているのかということを気にする人はいない。実際のところは、人はそのイベント目当てに集まっているのであって商店街を楽しもうとして集まってきているのではないということは言える。イベントは商店街には金を還元してくれない。【そうであるのであれば、なぜたくさんのイベントをやり続けるのか。意識レベルの低さに耳を疑いたくなった】

 

外部の組織とのつながり

まちづくりをやりたいという人々は大勢いる。今の状況は、自分が働きかけを行って、協力を要請している。やりたい人とやってほしい人との間に入って調整や要請を行う組織があれば、大いに助かる。

 

宇都宮市と周りの市町村との関係

宇都宮市は煙突のないまちとして、栃木県の中に存在してきた。いわゆる商業を中心に発展してきたといえる。高校ができた順序からもそれが言える。最初にできたのが、宇都宮高校、次が宇都宮農業高校、その次が宇都宮商業高校である。宇都宮市の呼ばれ方は、県都、軍都、商都である。

その一方で、足利市は工業を中心に栄えてきた。現在にもその名残が銀行名として残っている。なぜ、宇都宮銀行がなくて、足利銀行なのか。この疑問は、商業より、工業に重きを置いて、発展してきた栃木県の様子をあらわしている。

宇都宮が商業の発展をなくして何が残るのか、そういった意味でも、まちづくりやそれに伴った商店街の活性化は考えなくてはならない要素である。